ニコンレンズ ユーザーレポート
【限定商品】老眼対策レンズ「センチュリーAI アクティブタイプ」

レコード会社代表取締役社長 浅沼正人様(64歳)

日本のロック史に名を刻むバンド「THE CRAZY RIDER横浜銀蝿ROLLING SPECIAL」でリードギターを担当していたJohnny(ジョニー)さんの登場です。「ツッパリHigh School Rock’n Roll(登校編)」が大ヒットしたのは1981年。当時の若者たちに支持され、社会現象を巻き起こし、活動期間3年3カ月を駆け抜けました。その後はソロ活動を経て、レコード会社の会社員として30年以上仕事に打ち込んできたJohnnyさん。2020年には37年ぶりに横浜銀蠅オリジナルメンバーで復活を果たし、期間限定の活動で再び表舞台に立ちました。

代表取締役社長を務められているベルウッドレコードにお伺いし、「センチュリーAI」の見え心地について語っていただきました。

『ゆがみがなく、裸眼で見ている感じ。かなり気に入っています。』

浅沼さんのレンズと度数
センチュリーAI アクティブタイプ
屈折率:160  累進帯長:12㎜
コーティング:
シーコートネクスト・ダイヤモンド
R)S+0.30 ADD 2.00 
L)S+0.60 ADD 2.00

Q:横浜銀蠅の当時の活動についてお聞かせください。

Johnnyさん:1980年9月にキングレコードから、シングル「横須賀Baby」、アルバム「ぶっちぎり」でデビューしました。2年間で「武道館を満タンにする」「シングル1位」「アルバム1位」を目標に期間限定でやることを決めてのデビューでした。アルバムで1位をとって、武道館でのコンサートもできましたが、シングル1位だけが実現できませんでした。そこでもう1年活動を延長し、3年3か月で、3つの目標をクリアした上での解散となりました。短い期間でしたが、リーダーの嵐さん曰く「不良はゴールが見えないと走り通せない」ということでゴールがあったから、全開で走り抜けることができたのだと思います。

Q:大ヒットした「ジェームスディーンのように」でのソロデビューにはどのような背景があったのですか?ファン層についてもお聞かせください。

Johnnyさん:アルバムの中でも歌ったことがなく、「Johnnyはどんな声をしているのだろう」というファンの欲求を刺激するような状況で、1981年秋のTBSドラマ『茜さんのお弁当』の主題歌をぜひやってみないか?という話がありました。嶋大輔さんと杉本哲太さんが主演したドラマで、不良少年が八千草薫さん演じる茜が経営するお弁当屋さんで働くことによって更生していくという内容です。どんな人にも必ず輝ける場所があるから、腐らずに頑張ろうというテーマの曲がドラマと相まって、初めて歌ったということもあり一気にブレークさせてもらいました。
2年間で横浜銀蠅はシングル1位がとれませんでしたが、2枚目の「$百萬BABY(100万ドルベイビー」でオリコン1位を先に自分がとれたという思い出がありますね。
嵐さん、翔さん、TAKUさんも髭を生やして強面で、俺だけが生やしていませんでした。1981年11月18日に「ジェームスディーンのように」をリリースし、爆発的にヒットし、翌年のバレンタインデーは4トン車で届くくらい、すごい数のチョコレートでした。他のメンバー3人は男っぽい感じでしたので、男性や年上の女性に人気がある一方で、俺は清潔感のある好青年的な立場だったので、小・中学生の女の子に支持されていましたね。ちょうど皆がうまくすみ分けされていて、今考えるとそれもよかったのではと思います。キャラの違いが必要ですから(笑)。

Q:解散後、どのような経緯で、レコード会社でお仕事をするようになったのですか?大ヒットした曲やアーティストに携わっていらっしゃいますね。今のお仕事についてもお聞かせください。

Johnnyさん:1983年12月に横浜銀蠅を解散して、その後はソロでやったり、作曲家をやったり、色々頑張っていましたが、銀蠅時代当時ほどはなかなか成果がでませんでした。高校から付き合っていた今の家内は俺の夢をずっと応援して支えてくれていました。結婚して29歳のときに子供を授かり、家族のために頑張ろうと思ったのを機にキングレコードで仕事を始めました。入社して初めて入ったのが、アイドル・ポップスセクションで、その当時は中山美穂さんや森口博子さん、高橋良明くんといったアイドル関係を中心に仕事をしていました。その後、キングレコードJPOPセクションを任せてもらうようになり、AKBさんや植村花菜さんといった大ヒットにも携わらせてもらいました。ヒットが生まれるのは方程式的なものではなく、神がかり的なことがうまく重ならないとできないと思っています。横浜銀蠅がヒットしたことも、若者の代弁者として、その時代に合っていたから。その後、系列会社のベルウッドレコードで新人育成レーベルとアーティストマネージャーをやってくれないか、ということで50歳くらいの頃は兼任していました。2013年にベルウッドレコードで代表を任されるようになり、60歳でキングレコードを引退させてもらってからは、ベルウッド1本でやっています。今の時代は、歌がうまいねとか、かっこいいねというだけでメジャーレコードから音源を出しても、認知されるのは難しいですよね。はじめは、低予算でショッピングセンターをまわったり、ライブをやったり、ベースのファンの人達を作って、それからキングレコードでメジャーデビューするようにしないと初動の動きがないものはなかなか売れないので、そこまでを作る育成がベルウッドレコードのメインの役割です。もうひとつは、コンサート収益やグッズ収益などトータルでのマネジメントなど事務所の機能と両輪でやっています。

Q:2020年は「横浜銀蝿40th(フォーティース)」としてオリジナルメンバーで復活を果たされましたね。

Johnnyさん:30歳でキングレコードに入って以降、30年以上ずっと裏方でやってきましたので、ずっと人前に出ることはないと思っていました。当時のキングレコードの担当ディレクターであり恩師でもある水橋さんが亡くなり、ボーカルの翔さんとお別れ会で久しぶりに会ったときに「2020年は横浜銀蠅結成40周年になるけど、どうよ?」という話から、また表舞台に立って人前でコンサートをやったり、CDを作ったりしました。今年2022年からはまた裏方に戻っています。引き続き、横浜銀蠅は嵐さん、翔さん、TAKUさん3人で活動していたので、そのマネジメントをやっていましたが、残念なことに、嵐さんが今年7月に亡くなって、現在は翔さん、 TAKUさんとサポートメンバーを入れて活動しています。事務所の社長として忙しい日々を送っています。

Q:これまでも、遠近両用を作ったことがあるとお聞きましたが、今回センチュリーAIというレンズで新しく作った遠近両用メガネの見え心地はいかがですか?

Johnnyさん:また裏方に戻ったとはいえ、多少イメージがあるのでサングラスは必需品かなと思って(笑)新しいメガネを作りました。他のメーカーで、携帯やパソコンが見えるように遠近両用メガネを作ってもらったことがあるのですが、合わなかったんですよね。目は学生の頃からすごく良くて、ずっと視力が1.0とか1.2で、今も遠くはちゃんと見えます。以前作った遠近両用メガネは、じっとしている分にはよくは見えるのですが、車の運転など目が動くときに、ゆがみがすごかったり、慣れてないので道を歩いていても距離感がつかめず困って、どうしてもメガネをはずしたり着けたり、度が入っていないサングラスにしたり、何種類もメガネを持ち歩かないといけなかった。今回、ニコンさんで作ってもらって、本当にゆがみがないです。だから運転するときも、ほぼ気にならないし、裸眼で見ている感じです。イメージも大切にしつつ、あまり濃い色のレンズだと変な人に思われても困るので(笑)、ビジネスをしているときでも普通くらいの色合いで、運転しているときにナビがちゃんと見えて、普段の生活で携帯が見えて最高です。こんなにゆがみがなく、ちゃんと見えるメガネは素晴らしいと思います。
メンバーとツアーに行くときに新幹線でもこのメガネをかけて、本も読める。仕事のときも、ずっとこのメガネです。
もう1本、仕事用にデスクトップパソコンと手元が見えて、室内でかけたまま歩けるメガネも作っているところです。

※個人の感想です。

Johnnyさん、貴重なお話をありがとうございました。